28日に1年A組を取材させていただきました。
訪問した順にご紹介します。
附属中学校を出発。一列にきちんと並んで静かに移動していました。
「東山公園 噴水」
戦火から逃れるため噴水を目指して、
人々が逃げていたようです。
(人間だけでなく、サルも逃げてきていたとか…)
「大福寺」
東山公園から大福寺へ
部屋にエアコンを効かせて、御住職ご夫妻がお迎えしてくださいました。
御住職のお話をメモを取りながら聞いていました。
渡り廊下で町内の方たちが必死に消火活動を行い、子どもたちが話を伺った客殿は火事を免れたとのことでした。
御住職のお祖父様が大切に木箱で遺していらっしゃる焼夷弾
* 参考動画:『焼夷弾を知ろう 』- YouTube
熱で変形した瓶 再現された防空頭巾
蔵に保管され、戦災を免れた数点の貴重な掛け軸のひとつ。勉学の神様『菅原道真公』。
水浸しになった掛け軸を乾かして保存しているとのこと。
・・・退出時に、熱心に拝む男子がいました。
綺麗に建て替えられた本堂へ。
本堂再建は、戦後50年経ってやっと実現できたそうです。
御本尊が無事だったのは、当時のお坊様たちが必死に持ち出し、守っていたからとのこと。生徒、先生、一人ずつ順番に手を合わさせていただきました。こちらに戦争で亡くなった方々が祀られています。
境内に出て、操山、奥市(現在護国神社がある)、はここだよ、と御住職が説明してくださいました。瀬戸内海から、東山までB29が焼夷弾を落とし、また戻ったので、山を境にして旧市街地は空襲の被害が甚大で、それ以東、池の内などはとくに被害のないまま、B29は、引き返していきました、とのこと。
←後ろにあった観音堂が焼ける炎によって、背中が一部焼け落ちてしまった大地蔵
平和の鐘を鳴らし、黙祷。音が鳴り響いている長い間、黙祷しました。
平和への祈りの為、毎年クラス代表1名が鐘をつかせていただいています。
「浄教寺」
迷路のような路を行き、浄教寺へ。 看板の左部分が、焼けた跡です。
ここは、担任の先生の説明で、「説明看板にQRコードがあるね。門は戦火て焼けてこんなに焦げたものが当時を偲ばせるね。」とお話されていました。
「玉井宮」
阿の狛犬の台の崩れも、空襲によるもの。
破損した鳥居の一部が移築してありました。
禰宜様が出てこられ、屋根の焼け跡を教えてくださいました。ゆっくり見て回ってくださいね、とお声かけいただきました。
緑の屋根の中で、左の方に一部黒っぽいところがあるのが分かりますか?
禰宜様に当時の様子をお聞きすることができました。(音声)
「附属中東防空壕跡」
2箇所の防空壕跡。
この戦跡フィールドワークの為、校庭の手入れをしていただいている先生が、防空壕跡を生徒が見やすいように、草を刈ってくださいました。
「自分たちが通う学校の敷地にこんな跡があるとは。」と感じたようです。
このあと、グラウンド側から学校へ戻りました。
途中で水分補給もしながら、先生方も子どもたちの体調に気をつけながらめぐってくださいました。暑かったですが、水分補給以外はマスクを外すこともなく、また、生徒同士はしゃいで騒ぐこともなく、上手に見て回れていました。
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補足:1A中野さんの祖父母様の体験記です。当時の様子が、目に浮かぶ描写で綴られています。
~最後にA組生徒へのインタビューを紹介します~
Q. 先週の講演会を聴いて、今日の戦跡フィールドをまわってみて、感じたことを聞かせてください。
A組 竹本さん
(テニス)ボールをとりに行く近くに防空壕があり、びっくりした。こんなに身近に戦跡があるのだな、と知ることが出来た。
A組 大村さん
戦争は、自分とは関係ないことだと思っていたけれど、戦跡がこんな近くにあったんだと、自分の足で、目で観て、感じる事が出来た。
A組 大森さん
身近な所に戦争の爪跡、戦跡が残っていて、こんなひどい事だったんだ、と気付かされた。
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